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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)976号 判決

原告 川真田化学工業株式会社

右代表者代表取締役 川真田美明

右訴訟代理人弁護士 西田公一

右訴訟復代理人弁護士 更田義彦

被告 笹井克彦

右訴訟代理人弁護士 大西保

同 今泉政信

同 佐藤敦史

右訴訟復代理人弁護士 新井嘉明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し四二万三〇〇円およびこれに対する昭和四二年五月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

(一)  被告は、昭和三五年以来、訴外有限会社笹井化学(資本金一〇〇万円で、皮革の鞣制および染色加工等を業とする。以下「笹井化学」という。)の代表取締役である。

(二)  被告は、笹井化学の代表取締役として、原告から鞣成の原料を買い受け、その代金支払いのため、(1)昭和四二年三月一五日に、金額一六万五、二三五円、満期同年一〇月三一日の、(2)同年四月一五日に、金額一三万八、二二〇円、満期同年九月三〇日の、(3)同年五月一五日に、金額一一万六、八四五円、満期同年一〇月三一日の、約束手形各一通を振り出し、原告に交付した。

(三)  原告は、右各手形を各満期に支払いのため支払場所に呈示したが、いずれも支払いを拒絶され、しかも、笹井化学は、昭和四二年一〇月中に倒産し、事実上の破産状態に陥ったので、原告は右手形金合計四二万三〇〇円について同社から支払いを受けることができなくなり、同額の損害を被った。

(四)  笹井化学は、昭和四〇年頃から経営悪化の一途をたどり(昭和四一年九月の決算では約八九一万円の損失を生じ、この時点の負債総額は約一億五〇三万円であった。)、本件各手形振出時多額の債務、とくに多額の支払手形債務を負担しながら、これに見合う当座預金はほとんどなく、倒産は必至の状態となっていたのであるが、被告は同社の代表取締役として右事情を十分知悉し、原告に右各手形を振り出しても、同社がこれを決済し得る見込みがないことを予見しながら、右各手形を振り出したものである。したがって、被告は右会社の代表取締役として右各手形を振り出すにつき、重大な過失があったというべきである。

(五)  よって、原告は被告に対し、有限会社法三〇条の三にもとづき、前記損害金四二万三〇〇円およびこれに対する被告が前記各手形を振出し交付した後である昭和四二年五月一六日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁として次のとおり述べた。

(一)  請求原因(一)(二)の事実は認める。

(二)  同(三)の事実中、原告主張のように原告が本件各手形の支払いを拒絶されたことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同(四)の事実中、笹井化学が昭和四一年九月の決算で約八九一万円の損失を生じたことは認めるが、その余は否認する。

右会社の経営状態は、右決算以後皮製品の値上りにともなって次第に好転し、昭和四一年一〇月から同四二年三月までの決算では二二二万三、〇八八円の純利益を生じた。また、本件各手形振出時、右会社は、訴外平和相互銀行から二、五〇〇万円の融資を受けるべく同銀行と交渉中であったが、その見通しは明るく、これが実現すれば、前記利益とあわせて、右各手形の決済も円滑に行える予定であった。しかるに昭和四二年八月五日右銀行から笹井化学の得意先に信用状態の芳しくないものが一軒あるとの理由により融資を拒絶されたため右各手形の支払いができなくなったものである。したがって、右各手形の振出しについて被告に重大な過失はない。

三、証拠≪省略≫

理由

一、請求原因(一)(二)の事実は当事者間に争いがなく、同(三)の事実中、原告が本件各手形を各満期に支払いのため支払場所に呈示したがいずれも支払いを拒絶されたことも当事者間に争いがない。

二、そこで、被告が本件各手形の振出しにつき重大な過失があったかどうかについて判断する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

1、笹井化学は、昭和三五年被告の個人企業をあらためて有限会社となったもので、昭和三七年九月には中小企業金融公庫の融資により新工場を設けたりして、比較的順調に発展してきたところ、昭和四〇年頃から経営状態が悪化しはじめ、同年九月の決算で四八五万九、二三六円の損失を生じ、以来業界一般の不況および工場が火災や水害に遇ったこと等により業績ふるわず、昭和四一年九月の決算でも八九一万一円の損失を生じた、

2、そのため、右会社は資金ぐりに苦しむようになり、昭和四一年一一月末には約七〇〇万円の資金不足の事態を招来したが、このときは被告の家族の預金および親戚等からの借入金をもって辛うじてこれを切り抜けることができた。しかし、その後も相変らず、資金不足の状態が続き、被告は昭和四二年一月はじめから取引銀行などに融資を求めてきたが、同年三月右銀行から一、〇〇〇万円を借り入れることに成功したにとどまり、これだけでは当面の資金不足を完全に解消するのに必ずしも十分とはいえなかった。

3、そこで、更に被告は、昭和四二年三月頃、大口の取引先などとも相談のうえ、銀行保証による融資を受けるべく訴外東京生命保険相互会社に融資の申込みをしたところ、右保証をなすべき銀行として訴外平和相互銀行が指定されたので、同年六月頃から右銀行の貸付係と折衝をはじめ、当初口頭では三、〇〇〇万円の保証を求めたが、笹井化学の資産および経営状況を調査した右銀行から二、五〇〇万円位が相当であるといわれたので、結局同年七月正式に右銀行に対し二、五〇〇万円を借り入れるについて保証することを申し込んだ。当時、笹井化学所有の不動産には、すでに設定されている抵当権の被担保債権額を控除してなお約一、〇〇〇万円の担保能力があり、右二、五〇〇万円の借入金の約半分をもって先順位の抵当権者に対する弁済をなし、その抵当権設定登記を抹消して右銀行のために第一順位の抵当権を設定すれば、右銀行の前記保証は十分な物的担保を有することとなり、しかも右銀行の貸付担当者は被告に対し好意的な態度をみせていたので、同年七月末頃までは予定どおり右保証を得られそうな状況にあった。そして、これが得られれば、前記東京生命から二、五〇〇万円の融資が受けられ、それまでに振り出した手形の支払いも円滑に行い得る見込みであった。ところが、翌八月五日に至り、被告の予期に反して右銀行が保証することを断ったため、笹井化学は支払手形の資金に窮してしまった。そこで、被告は直ちに原告ら債権者に事情を説明して債務の支払の猶予を懇願したところ、大口取引先をはじめとする多くの債権者はこれを了承し、支払手形の書替えに応じたが、一部の者がこれに応じなかったため、逐に右会社は昭和四二年九月預金不足で不渡手形を出し、手形交換所の取引停止処分を受けるに至った。

4、以上のように、右会社は昭和四一年一一月頃からその資金ぐりが非常に苦しくなり、それにともなって負債も増加し、債務超過の状態が続いていたが、営業そのものは、昭和四二年七月までは、原料販売業者等が競って注文を取りにくることもあって、経営が悪化する前と何ら変わるところなく行われており、利益こそあがらなかったが(被告は、右会社が昭和四一年一〇月から同四二年三月までの決算で二二二万三、〇八八円の純利益を生じた旨主張するが、≪証拠判断省略≫、他にこれを認めるに足る証拠はない。ただ、被告本人尋問の結果によると購入ずみの原料の値上りにより一時的に利益が生じたことは認められる。)、売上高は次第に伸びてきていた。また、不渡手形を出すまでは従業員に対する給料を遅配することもなかった。

(二)  以上の認定を左右するに足る証拠はない。また、以上の事実のほかに、本件各手形振出し当時、笹井化学において支払不能をきたすような事情を認めるに足る証拠もない。

(三)  以上の事実に徴すると、笹井化学が本件各手形振出し当時多額の債務を負担して資金ぐりに苦しんでいたことは明らかであるが、被告は、昭和四一年一一月右会社が資金不足をきたして以来衰勢を挽回して事業の振興をはかるべく資金ぐりに奔走し、昭和四二年三月には一、〇〇〇万円の借入れを実現し、更にその頃から折衝をはじめた東京生命からの融資が実現すれば、本件各手形の決済も十分これをなし得る状況にあったところ、右各手形振出し当時である昭和四二年三月から五月の間は右融資が実現する可能性が決して少いものではなかったというべきであるのみならず、右各手形が事業継続に必然的にともなう原料購入の代金を支払うために振り出されたもので、その金額も大きくなく、右会社は利益こそあがらなかったがともかく事業を継続して売上高を伸ばしていたこと等の事情を勘案すると、たとえ右のような資金不足の状況にあっても、被告が右各手形を振り出したのはある程度やむを得ないものであり、かつ当時においては、これらの手形が不渡りになることを予見し、もしくはその強い蓋然性を認識すべきものとするのは相当とはいえない。

それゆえ、被告が右会社の代表取締役として本件各手形を振り出したことにつき重大な過失があったものと認めることはできないというべきである。

三、以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 丸尾武良 根本真)

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